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ポルトガル~サグレス、最果ての地~

2011年07月17日


35歳になった7月8日、セビリアを出た。セビリアから先はのんびり、時間をかけてヨーロッパ西南端のサン~ビンセンテ岬を目指すつもりだった。

 

だけども、早くゴールしたいという気持ちもどこかにあった。

 

セビリアを出てしばらくすると、なだらかな丘陵地帯に広がるヒマワリ畑が現れた。
ヒマワリ畑の真ん中を道路が突き抜けていく、そんな感じの道を走る。

 


ひまわりはちょっと萎れてたけどずいぶんと素敵な誕生日プレゼントだった。
おかげでテンションも上がってきて、その日は結局ポルトガルとの国境にほど近い海辺のキャンプサイトまで走った。

 

そして翌日、ポルトガルに入った。スペイン側のとポルトガルの間には大きな川があった。僕はスペインのアヤモンテとポルトガルのヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオを結ぶフェリーに乗って国境を越えた。

 

最後の国か。やっと終わるのか。

 

 

ポルトガルに入ると、スペインよりもちょっと小綺麗な街になった。N125線をOlhaoと言う街まで走った。

 

 

どんどんとゴールが近づいていく。

 

 

その晩、キャンプサイトで、スペインに住むオランダ人のフランクと出会った。1BOXカーで彼女とほうぼうを旅しているという。オランダで都会暮らしにうんざりし、スペインの田舎で彼女と暮らしてるそうだ。

 

都会育ちの彼は家畜の世話や畑の手入れに苦労しながらも楽しくやっていると言う。

 

前日が誕生日だったと話すと、彼は自分で作ったワインを一本持ってきてくれた。いつも一番安いワインをスーパーで買っていた僕にとって、そのワインはやたらと美味かった。樽の香りというのか、渋みというのか。

 

そして翌日、最果ての街サグレスまで30キロの町ラゴスについた。比較的早くに到着したのだけど、観光する気にもなれず、酒を飲んで寝た。

 

もう一晩ラゴスで過ごし、もったいぶってサグレスに行こうかと思ったりもしたけれど、起きてすぐにテントをたたんだ。

 

栄光へのラストラン。栄光でもなんでもないんだけど。

 

 

ラゴスから、おっちゃんが近所にタバコでも買いに行くようなスピードでだらだらうねうねと走った。

 

応援してくれる車のクラクション。

車内から手を振っている。

 

道路工事の土方のオッサンも腕をがっと上げて、頑張れ!と。

 

N125線が終わり、南北を結ぶN268線に入る。

 

サグレスが近づくにつれて風が強くなった。見える景色も淋しくなってきた気がした。

 

赤茶けた大地を道は抜けていく。

 

街が見えた。サグレス!

 

最果ての街にやって来たんだ。サン・ヴィセンテ岬まであと数キロ。けれど直接は行かずに、まずキャンプサイトに行ってから岬へ行くことにした。

 

すべてのバッグを外して、ちょっとだけ雑巾でナンシーをふいてから。

 

ほんの数キロ。ラストラン。

 

この時ばかりは強い向かい風も気にならなかった。

 

今回の旅のゴール、サン・ヴィセンテ岬。ついにやって来た。

 

観光客相手にスナックやドリンクを売る店で僕は"サグレス"の名前がついたビールを買った。

 

来るまでは、感動して飲みながら泣いちゃうんじゃないかと想像してた。

 

実際は泣きもせず、達成感もあまり感じなかった。

あ、着いちゃったのか。そんな感じだった。

 

なんだか不思議な気分だった。ゴールしたんだか、旅が終わったんだか、なんだか良く分からない状態だった。

 

買った時と同じ状態のナンシーは、大西洋をバックに太陽の光を受けてギラギラ光っていた。ミグ戦闘機みたいに格好よかった。

 

どうみてもタウンユースのママチャリなんだけど。

セビリアから出てA-472号線を西へ

アンダルシアの空の下 一面のひまわり畑

スペイン・ポルトガル国境まであと少し

フェリーに自転車を乗せたのは2度目か

グアディアナ川がスペイン・ポルトガルの国境線になっているので、国境越えはフェリー

ポルトガルへ入国

最後の国、ポルトガルの始まり 荷の積み方も上手くなったもんだ

街の名を冠したビール「サグレス」 遠くに見えるのは岬の灯台

空は高く、日差しも強い 目指したゴール、サン・ビセンテ岬に到着

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