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ポルトガル~リスボンにて~

2011年07月18日


後の都市、ポルトガルのリスボンにいます。


久しぶりにネットをしてびっくり。
予約できたと思っていた帰国のチケットが、予約出来ていなかったのです。


迷惑メールに振り分けらた、エージェントからのメール。



カードの問題があるので、この予約は取り消されました、と。


空港に行く前に気付いたからまぁ良かった。
新たに航空券を探して、無事に帰国のチケットを予約できました。



あとは帰るだけ。
でも、好奇心もすり減ってしまったのか、毎日ぼけぼけしてるだけです。
ちょっと散歩して、すぐ疲れて公園でひなたぼっこして。



だけども、旅の終わりに出会いの総決算なのか、沢山の人との出会いに恵まれました。



宿のそばの、ネット屋とスーパーが一緒になったバングラデシュ人の店での事。


日本語を読めるPCがあるので、毎日来ている。
ある日、日本語を読めるPCが使われていたので、店の人間に他のPCも読めるか聞いてみた。


その日本語を読めるPCを使っていた外国人から、
「兄貴、席変わりますよ!」といきなりの日本語が。



なに!と思って話をしてみると、彼は日本で13年も出稼ぎをしていたパキスタンの男だった。
本当に上手な日本語を話す彼。


普段、異国の地で出会う人で日本語を操る人間はどうも怪しんでしまう。
でも、ただ単純に久しぶりに日本語が話すことができて嬉しいという彼はいい奴だった。



その翌日、公園でビール飲みながらぼけーっとしてると彼にまた会った。


親戚の叔父さんも一緒だった。
その叔父さんもまた日本で仕事をしたり、日本人の奥さんを持つという。


3人で、日本を懐かしむ話をした。


「吉野家食いたくない?」
「やっぱ、卵つけるっしょ!」


なんて。


帰り際、ムスリムの彼らにビールをおごってもらってしまった。
数カ月後、日本に来るという彼らとアドレスを交換して分かれた。



そして宿の同じ部屋に来たブラジル人のクリスティアン。
でかい荷物を抱えて来たなぁ、と思っているとそれはチェロだった。


僕のじいさんはチェロ弾きだったので、妙に親近感がわいた。
話をしてみると、音楽学校の試験の結果待ちをする間、ストリートで演奏する予定だと。



出会った翌日、観光客が多く行き交う通りで彼の姿を見た。


宿ではくたびれたTシャツと短パンでだらりとしてたのに、チェロを弾く彼はびしっとスーツを着ていた。


なんだかこう、アーティストとして格好良いな、と思った。
彼のそばに行って、演奏を聴くことにした。



「おじいさんの事、思い出す?」


と聞かれて思わず、そうだねと答えてしまった。
実際はじいさんには会ったこともなく、その演奏も聞いたことはない。



じいさんは飲んだくれで、死後に家の近所の飲み屋から実はツケがあったのですが。。
などとばあちゃんは言われて赤面したという。


じいさんは生活費もあまり家に入れず、貧しい思いをしたってばあさんは言ってた。



そんな事もあってか、ばあちゃんは息子や娘を音楽家には絶対にさせなかった。
しかし孫の俺がバンドをやっているというと、あんたはじいさんと違うからね、と言いながらよくタバコ銭だと小遣いをくれた。



まぁ、あんまりイメージの良くない俺のじいさん。
俺も似たようなもんなんだけど。





ただ、チェロを弾くじいさんもクリスティアンみたいに格好よかったのかな、なんて思った。




この旅の終わりの地、リスボンでやたらと日本を思い出させる出来事に遭遇している。





さぁ、日本へ帰ろうか。




横浜へ帰ろう。




家へ帰ろう。

リスボンのどこかの教会 ステンドグラスが美しい

リスボンの路面電車

コメルシオ広場の回廊

チェロ弾きのクリスティアン

クリスティアンの一日の稼ぎ

サン・カルルシュ国立劇場の広場で行われていたフリーコンサート 最後の曲、ラデツキーマーチは沢山の子供がタクトを振っていた

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