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ベトナム~明日、ラオスへ~
2010年12月08日
先日の下痢から、野菜不足なのか便秘気味のナシオです。
今日はディエンビエンフーの戦跡や戦争博物館とかを見て回りました。
1954年、劣勢にも関わらず、独立を阻むフランスは空挺部隊をディエンビエンフーへ投入。
2ヶ月近い戦いでベトナム側はフランス軍を駆逐します。
こののちフランスはベトナム撤退を余儀なくされます。
戦跡や博物館で目にする、フランス側の戦車や大砲。
大砲に刻まれた刻印を見ると、アメリカ製だったりします。
ベトミン側は中国製の大砲だったり。
アメリカがフランスを後押ししてたんですな。
中ソがベトミン側を。
展示されてる写真を見ると、1970年代のベトナム戦争時のアメリカ大統領でもある、ニクソンの姿が。
第一次インドシナ戦争というのはこういうことか。
第二次を僕らの言うベトナム戦争と言うのがしっかり分かった。
むぅ。それにしてもアメリカは戦争屋ですなぁ。
ベトナムも第一次、第二次インドシナ戦争、さらには中越戦争とやってきた国。
そう考えるとすげー国である。
ベトナムの独立戦争の際には、旧日本軍の義勇兵も居たそうな。
ベトナムの国旗もそうだが、星を記した国は多い。
しかし日本は、陽出ずる国。太陽だ。
傷も付けたが多くの国を照らしたのではないか、とも思う。
負けた事ばかりを嘆くより、多くのアジアの国に光明をもたらしたことを忘れたくない。
明日は初めての国、ラオスへ。
ちょっとドキドキしてまーす。
![]() 勝利の記念像はこの階段の上 | ![]() 戦時中この地はフランス軍陣地であり、D1の丘と呼ばれていたそうな |
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![]() D1の丘、勝利の記念像かディエンビエン市内を望む | ![]() こちらはA1の丘 ジグザグの塹壕を繋ぐ道と、ベトナム側によって攻撃されてできたクレーター |
![]() フランス軍の塹壕跡 | ![]() ここの塹壕でフランス軍大将などが生け捕りにされたという |
![]() 戦争博物館の展示 ボタンを押すと赤と緑のムギ球が点灯して、戦いが進むさまが分かるようになっている | ![]() 車とバイクの接触事故に遭遇 |
![]() 川沿いに開かれていた市場 |

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