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中国~なぜ今中国なのか~

2010年11月19日


何でこの時期に中国か。
一つは台湾からラオスまで抜けるため。

もう一つは、会いたい奴がいたからで。

4年前の10月、僕は陽朔という街にいた。
桂林という街からの河下りの観光船が着く街。
初めての一人旅で少し淋しくなった頃、奴に出会った。

中国の大連休にぶつかり、泊まっていた宿をキックアウトされた僕はバーの3階にある従業員の宿舎に泊めてもらうことになった。

彼はここのバーテンダー。今は桂林でドラムの先生をしてるって話だ。
寝食を共にし、毎日一緒に飲んでキマって遊んでた。
Envyが好きだって言う彼とはライブスペースでジャムったりもしてた。

今回台湾に居る時にメールで旅を再開したと伝えると、いつ来るんだ?って大はしゃぎしてた。

昨今、対日感情も良くない中国。僕の中ではアモイからラオスまで一気に抜けるつもりだった。

アモイにわたり、気が変わった。ソニーのカメラをぶら下げた中国人が旧日本領事館の石碑を踏みつけ、記念写真を撮るのを見て。

居心地が悪すぎた。怖くもなった。

恋人を想うように彼を想い、すぐにでも会いたくなった。
とにかく早く桂林まで行きたかった。
コロンス島を飛び出し、バスを乗り継いでアモイ北駅から新幹線みたいな快速に乗った。

上海の南、杭州で夜行列車に乗り換える。
そうすれば翌日には会える。だけど、杭州からの列車は無かった。

一泊しなくては。
車で客引きに連れてってもらった宿で、身分証としてパスポートを出すと、追い出された。日本人だからってことで。

他の客を連れていた客引きのおばちゃんが、僕を別のホテルに連れていってくれた。車の中でまるまると太ったおばちゃんの体温を感じて少しほっとした。

翌日、快速電車で上海南駅まで行き、高かったが桂林まで飛行機で飛んだ。2時間遅れの飛行機。苛立つ乗客たちになんか怖さを感じた。

桂林の空港から彼に電話した。
お互い下手な英語でやりとり。空港のバス乗り場で待て、と言われたように聞こえた。

実際は街のバスターミナルで待ち合わせだった。空港で3時間も無駄に待ってしまった(笑)

心配した彼が空港に電話し、スタッフが僕を捜してくれた事で僕はバスに乗り市内のバスターミナルへ向かうことが出来た。


ターミナルで奴に会った瞬間、泣きべそかきそうになった。
想い出の街、陽朔までバスで移動する車内で二人とも興奮しっぱなしだった。


同じ陽朔のバーで働いていた女の子の家へ。
彼女は不在だったけど、泊めてもらうことになっていた。
えらく豪華な部屋でびっくり。日本で言うところの3LDK、といった所だろうか。

シャワーを浴びてから彼と朝の五時までシャベクリ倒した。
政治のこと、音楽のこと、彼女の話。

俺たちは不在の彼女のとてもラブリーなベッドで二人で寝た。
笑けてきて、なかなか寝付けなかったけど。

そんな感じで、無事に中国に滞在してます。

杭州から新幹線のような特急列車に乗った

和偕号という新幹線もどきの車内 思い返すと事故に遭わなくてよかった

上海から飛行機で桂林へ 焦りのせいか何でもありの移動になってしまった

4年前に出会った友人と無事に再会

二人で自転車に乗って陽朔の街はずれへ

二人で寝ることになったラブリーなベッド

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