カンボジア~地雷を踏んだらサヨウナラ~
2006年12月4日
アンコールワット観光二日目の朝の事。バイクタクシーのおじさんと、どこが素敵な場所かコーヒーを飲みながら話していた。どうやら、「バンテアイスレイ」という遺跡が良いとの事。
チャリンコで行けるかどうか聞いたら、道も悪いしなにせ片道36㌔ぐらいあるからねー、と鼻で笑われる。
大して普段から自転車を乗ってる訳でもないし、スポーツジムに行って自転車マシーンに30分も乗ってれば息が上がる。でも、バイタクのおじさんに対して意味不明な闘争心が湧き上がり、チャリンコで行くことを決意する。
宿からアンコールワット方面へ。走り始めは身体も軽かった。途中に点在する遺跡で足を休めてはひたすら走り続けた。道路の状態は進めば進むほど悪くなり、田んぼ以外何も無いような大地の一本道を進む。
途中に寄ってみたい場所があった。
カンボジアで命を落としたカメラマン、一の瀬泰造の墓に行ってみたかった。遺体発見現場とされる土地に、地主がお金目当てで勝手に建ててるだとか、遺族は快く思っていない等と色々と噂話は聞いていたが、どんな所にあるのかがとても気になっていた。
宿を出て2時間くらい走っただろうか。「タイゾーの墓→1000m」という看板が目に見えた。矢印が示している路地へ入り道を進む。舗装されていない、土ぼこりの舞う道を進む。
高床式住居の前には海外各国の援助で作られたと思われる井戸が見える。お金を出した人の名前を書いた看板が、各家庭の井戸の前にあるのだ。法人・個人を問わずに日本人の名前の看板が多く見られた。
のどかな道を進む。しかし一向に墓の姿は見えない。行き過ぎたかな?そう思って引き返すと、5分ほど前に追い抜かしたおじさんとすれ違う。「タイゾー?」と聞くと、ついて来いと言う。
しかし、到着したのは誰も訪れないような小さな遺跡だった。しばらくその遺跡を眺め、改めてタイゾーのお墓の話を聞く。僕を先導してきてくれたおやじとは別のおじさんが、家に帰る途中だから案内するよ、と言ってくれた。
お墓は木の板で出来たおんぼろの小さな橋を渡った所にあった。草むらにぽつんと。このお墓が遺族が良く思っていなかったり、金儲けのためにあるとしたとしても、異国の地で死んだ彼は天国からこの様子をどう見ているのか、そんな事を思った。
そこから一時間半ほど走って、ようやく「バンテアイスレイ」の遺跡に到着。こじんまりとした遺跡で、他の遺跡とは違って赤みが強い石で出来ている。それらに施された彫刻は緻密で細かく、人気があるのもうなずけた。
しばらく眺めているとスコールに襲われた。遺跡の中で雨宿り。雨は強くなり、観光客が居なくなった。人の居ない、雨に濡れる遺跡も悪くは無かった。
雨も上がって、涼しくなった所で帰ることにした。帰る途中、地元の少年の自転車に追い越され、ムキになって追い越し返して無駄に疲れてしまったり。結局、この日は一日で80㌔ほど走った。80㌔だと、横浜からどこまでいけるのだろう?
チケット最終日の次の日は、疲れてしまって、午後から近くのアンコールワットを眺めて終わるだけになってしまった。
![]() 一之瀬泰三さんのお墓 | ![]() 通りからお墓へ行く間の木で出来た橋に一輪の花が飾られていたのが印象的だった |
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![]() バンテアイスレイ 女の砦と言う意味だそうだ | ![]() 繊細な彫刻が美しい遺跡 |
![]() 赤みを帯びているのも印象的 | ![]() アンコールワットあたりからおよそ40キロ離れてぽつんとある遺跡 |
![]() 帰りがけに寄った遺跡 夕暮れ時で多くの人が集まっていた | ![]() 細かい彫刻は何が描かれているのかはっきりと分かる |
![]() シェムリアップのジャングルに沈む夕陽 |
