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空からカギが降って来た~キューバ放浪記・ハバナ~

  • ナシオ
  • 2017年9月24日
  • 読了時間: 5分

空からカギが降って来た。

「シオマラの家」と名付けられたハバナの安宿の玄関口に着いてベルを鳴らすと三階のテラスから誰かが僕を確認し、小さなぬいぐるみの付いたカギを上から投げて来たのだ。

「これがキューバか。」

少しカギを回すのにコツがいるドアを開けるとすぐに階段があった。急な階段はバックパックを背負っていると息が上がってしまうほどだった。ただ単に日ごろの運動不足がそうさせてるのかの知れないけれど。

三階に辿り着くと、古ぼけた外観からは想像できなかった天井の高い広々とした空間が広がっていた。共有スパースなのだろうか、開放的なその空間にあったロッキングチェアやソファ・シャンデリアなどの調度品はどこか古臭く、けれど洒落た感じだった。

年配の少し小柄なおじさんスタッフ相手に宿帳の記入を済ませると、バックパックが引っかかってしまいそうなほど狭い通路の先の部屋に案内された。ベッド四台が詰め込まれたドミトリーは狭いながらも天井が高く圧迫感が少なく、エアコンもついていてなかなか快適そうだった。

バックパックを降ろし、部屋を出て狭い通路を戻り共有スペースに行きテラスに出てみた。

テラスからは建物カピトリオと呼ばれる旧国会議事堂の最上部のドームの部分が良く見えた。

その左右を見回すと壊れかけの三階建てくらいの建物や薄汚れた道路が目に入ってくる。

壊れかけているとは言っても建物には僕と同じようにテラスから人の往来を眺めたり洗濯ものを干している住人の姿があり、薄汚いとは言っても人々の往来は盛んでコーヒースタンドで一息つくキューバ人の姿やぼろぼろの年代物の車が走り抜けて行ったりする。

大昔に行ったインドのカルカッタを当てもなくふらついていた時に見た景色のようだった。カルカッタのようには汚くないけれども。

「これがキューバか。」

と、今自分がキューバと言う国に居る事を確認するように再び心のなかで呟いた。

見る事が出来なかったかもしれない、そう思うと何を見ても価値あるものに見えてくるのだ。

七色の湖、メキシコのバカラル湖に居たのは十二月だった。

その頃僕は日本を出て一年を費やしていて、旅費の残高を心配しなければならない頃だった。

一度アメリカで治験のボランティアに参加して旅費を増やそうと意気込んでいたのだが、物価の高いアメリカの滞在費を差っ引くと治験で得た金はたいして残らなかった。そしてアメリカを後にしメキシコ・グアテマラ・ベリーズと続け、メキシコに戻りバカラルまでたどり着いていた。

「日本に帰るかどうするか…。」

バカラル最後の夜、ハンモックに揺られながら悩んでいた。

けれども大昔から憧れのあったキューバに行かずしてこの旅を終わらせるつもりは無かった。アメリカと国交正常化し大きな変化が予想されるキューバは今行くしかない、そう思っていたのだ。

もう一度アメリカに行って治験でもなんでもいいから旅費を獲得しに行く、バカラル最後の夜はそんな気持ちにだいぶ傾いていた。

そして僕はマアウワル(Mahahual)と言うカリブ海に面した、カンクンから三百五十キロほど南に下った場所にある小さな街へ行きアメリカ行きのタイミングを計る事にした。

リゾート地であるカンクンまで行ってしまうと物価が高く、もし滞在が長くなった場合金銭的につらくなる。そう言った事から僕はどこかで話を聞いたマアウワルと言う街に向かったのだ。

マアウワルでは酒屋の二階にある安宿に泊まっていた。客と言えばバスのドライバー位なもので、バックパッカーや観光客よりもローカルな人が利用するような宿で他の宿に比べるとだいぶ安くて僕には都合がよかった。

猫の額ほどのマアウワルのビーチはレストランやホテルのプライベートエリアがほとんどでゆったりのんびりできるような所では無かったけれど、カリブ海の美しさは誰にも等しく与えられた。

昼間は海を眺めたり寄港していたクルーズ船の姿を見に行ったりして、夕方はアメリカ行きの航空券や治験の情報を調べ、夜は酒屋の前の椅子に座って酔っ払いたちとビールを飲んで過ごした。

数日のうちに良さそうな治験の情報が入り、それに合わせた航空券も予約した。そして北上しカンクンに行き、短い滞在の後アメリカへ飛んだのだ。

治験は申し込んだところでお金がもらえるわけではない。事前健康診断をパスし、さらにそこから研究の対象にふさわしい人間が選ばれる。そうした人間が施設に入院したり通院し、決められたスケジュールをこなすと報酬がもらえる。

そんな感じだからアメリカに行くこと自体が賭けみたいなもんだった。

一か八かの渡米は成功収め、治験のボランティアでたんまりと旅費を得た僕は再びメキシコに戻った。

チワワ太平洋鉄道と言うメキシコ唯一の旅客鉄道に乗ったり、メキシコ国内を飛行機で移動したりと贅沢しながらカンクンへ凱旋を果たしキューバへ向かった。

そんなバカラルから今までの道中を振り返っていると、ベランダからビニール袋が括り付けられたロープを歩道まで垂らすおばさんの姿が目に入った。

すると下に居た少女が持っていた煙草を一箱その袋に入れた。おばさんはそれを確認するとロープをするすると巻き上げ、彼女の所まで袋が上がったと思うと煙草を出し封を切り一服し始めた。お使いでも頼んだのだろうか?宿のカギのやりとりと似たようなもんだ。

「これがキューバか。」

アメリカ行きで旅費を稼げていなかったらハバナのこの景色は見る事は出来ていなかったのだ。

一か八か、生きる事や旅する事が博打みたいになってきた自分のキューバ放浪はこうして始まった。

 
 
 

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