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人生は苦い、だから…~キューバ放浪記・トリニダー~

  • ナシオ
  • 2018年9月5日
  • 読了時間: 4分

実は日本に帰って来てからしばらく経って「鬱病」を発症してしまっていた。

自由気ままに行きたい所に行き、食べたいものを食べ、見たい物だけを見てきた放浪の2年間。

その間に目を背け続けた日本の「現実」って奴に叩きのめされてしまったようだ。

どうにもこうにも気分が優れず引きこもりがちになり、眠れない日々が続いた僕は梅雨の頃に医者へ行く事にした。

それも一か月ほど行く事に悩んだのだが。

まずはカウンセラーとの面談だった。

自分の身に何が起きたか分からないが、どうにもこうにも気分が優れない事や認知症が始まった母の事、そしてその日暮らしの旅をしていた事を話した。

カウンセラーは特にどうしろああしろとは言わず僕の話を淡々と聞き、次に心療内科医の診断を受けた。

事前に書いた問診票やカウンセラーとの話の内容を知ったドクターはあっさりとこう言った。

「中程度、もしくはそれより重い鬱ですね。」

僕は悲しみに打ちひしがれるどころか、自分が「病人」である事がはっきりリ分かって少しほっとした。

睡眠薬やその他の薬を処方された僕は、まずはグッスリと眠る事が出来るようになり安心感を持った。そして生活のリズムが整い始めてくると、引きこもりから一転、毎日のように外に出て喫茶店やラーメン屋などに出かけるようになった。

そんなある日の事。

駅前のショッピングセンターの中にあるコーヒーを売る店に入った。そこには僕が旅した国のコーヒー豆なんかもあって少し嬉しくなった。

「あぁ、僕は元気に旅をする事が出来ていたのだなぁ。」とも思ったが。

日本に居ても外国にいてもコーヒーを飲まない日がない僕は、毎朝アティトラン湖を眺めながらコーヒーを飲んだグアテマラの豆を買うことにした。

家に帰り、ステンレスの棒状のコーヒーミルでガリガリと豆を粉にしてゆく。インスタントコーヒーの瓶を開けた時の香りとは全く別物の、まだそれを飲んでもいないのに心が満たされて行くような香りがしてきた。

そのコーヒーを旅先で友人に安く譲ってもらった直火にかけるエスプレッソメーカーにセットする。

そして自転車旅で使っていたキャンプ用のコンロに火を点け、しばらくの間コーヒーが上がってくるのを待った。

ボコボコ、ボコボコ、シュー。

そんな音が聞こえてくる頃には片付けられていない汚い部屋の中にコーヒーの香りが充満した。

濃ゆくて苦いエスプレッソが出来上がった。

そこで僕はふとあることを思い出した。

キューバのハバナを後にした僕はトリニダーと言う町に居た。

サトウキビ以外にもコーヒーが豊かなキューバではどこの家庭にもエスプレッソメーカーがあって、日本で言うお茶代わりに人の家でよく飲ませてもらっていたのだが、トリニダーの町の宿でも日々何杯ものコーヒーをいただいていた。

料理が上手と評判の宿の女将の友人なのか親類なのか、僕がコーヒーを飲んでると一人のおばさんがやってきて話しかけてきた。

「あんたコーヒーは好きかい?」

「うん。大好きだよ。キューバのコーヒーは僕の好みだ。」

タバコとコーヒーがうんと安く飲めるキューバが大好きだよ、何てことも伝えた記憶がある。

そして彼女はこう言った。

「人生ってとても苦いものでしょ?だからコーヒーぐらいはうんと甘くして飲むものよ。」

なんと豊かな言葉を放つのだ。

悲劇と喜劇が入り混じったような表現に僕は感服した。

確かにキューバの人はサトウキビも特産品のせいか、うんと甘いエスプレッソを飲む。けれども人生とコーヒーが話のなかで一瞬にして交差するとは。

嫌いではないのだけど、メキシコ人の口の悪さと比べると出会ったキューバの人は言葉選びが素敵な人が多かったように思える。 何となく分かるようになったスペイン語の響き自体も素敵で好物だったのだけど。

そんな話を思い出して僕はこう思った。

時には苦い人生だけれども、うんと自分を甘やかす時間も必要なんだな、と。

まぁまた気が向いたら、旅の話の続きを書きます。


 
 
 

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