両手に花でオープンカーに~キューバ放浪記・ハバナ~
- ナシオ
- 2018年2月24日
- 読了時間: 7分
さぁ、時が止まったような国のお話を続けようではないか。
キューバ放浪の旅で一番贅沢で幸せを感じた日の話だ。
キューバ滞在4日目、僕は女子2人に囲まれて1956年式だと言うフォードのオープンカーに乗っていた。

彼女たちとはメキシコのカンクンの安宿、「ロサス・シエテ」で出会っていた。
僕がハバナへ旅立つ数日後に彼女たちもハバナへ向かうと聞いていたので、「またハバナで遊ぼうねー」なんて言っていた。
ハバナ到着後、彼女たちが来ると聞いていた宿へ行く事も考えてはみたものの、僕は結局数多くの友人から勧められた「シオマラの家」に行く事にしたのだ。
ネット環境の悪いキューバの事だから連絡を取るのも難しいだろうし、彼女たちと再会するのは難しくなってしまったな、そう思っていた。
ところがハバナ滞在3日目、チェ・ゲバラ邸宅の見学を終えてシオマラの家に戻ると彼女たちの姿がそこにあったのだ。
どういった理由でシオマラの家に来る事になったのか、詳しい理由は忘れてしまったが予定が変わってシオマラの家に来る事になったそうだ。
予定も目的地も持たない僕とは違って、彼女たちは行きたい所や見たい物が明確にあってそれを確実にこなしていく感じの旅人だった。
そんなギャップも気にせず仲良くしてくれる彼女たちはテンションも高く、一緒に居るとこちらまで元気になってしまいそうなほど明るかった。
無事の再会をお互い喜び合ったあとにこんな事を言われた。
「明日オープンカー乗りませんか!」
1時間40USドル位が相場と聞いていた観光客用のアメ車のツアー。1人で乗るには高すぎるし、誰かを誘うほどの勇気も無かった僕からしたら嬉しいお誘いだった。
そりゃもちろん素敵な女の子たちに誘ってもらった事が一番嬉しい事なんだけども。
僕は快諾し、翌朝そのツアーに彼女たちと一緒に向かった。
シオマラの家を出て国会議事堂を横目にマルティ通りへと出る。通りの向こう側にはパルケ・セントラルと呼ばれる公園が見える。
マルティ通りに面した高級ホテルの前やパルケ・セントラルの横にある駐車スペースには、キューバの庶民が乗るタクシーようなオンボロではなくピカピカに磨かれた手の入った観光客相手の古いアメ車が列をなしていた。
女子2人のお目当てはピンクのオープンカーだったのだが、思いのほかすぐに見つかった。
サミュエル・L・ジャクソンにちょっと似た、ハットを被ったドライバーに僕は声をかけた。
いくらかスペイン語が出来るようになっていたので、交渉役を買って出たのだ。
話を聞くとツアーは1時間で40CUC(40USドル相当)、革命広場や海沿いのマレコン通りなんかをドライブするとの事だった。
料金が高いように思えて値切り交渉をしたのだけれど、売り手が優勢な市場なのか料金は下がらなかった。確かに辺りを見回すと、観光客がどんどんとアメ車に乗り込んで行っているではないか。
料金とツアー内容を女子たちに確認するとパパっとOKが出た。
この辺の思い切りの良さも一緒に居て楽しいものだった。
女子2人は後部、僕は前の座席に乗り込んでツアーは始まった。
が、どういうわけかドライバーの友人なのかもう1人のキューバ人を前の座席に乗せて走り出した。
パルケ・セントラルの辺りから中国人の居ない中華街の辺りを走り抜けて革命広場へと向かっていった。
初めてオープンカーに乗ったのだが、キューバの強い日差しを受けながらのドライブはかなり心地良いものだった。ピカピカのピンクのキャデラックに集まってくる路地を歩く人々の視線も気分の悪いものでは無かった。
僕はドライバーにブエナビスタ・ソシアルクラブの曲がカーオーディオで聞くことができるか尋ねた。
キューバ音楽に詳しくない僕がその頃知っていた曲と言えば、映画でも有名になったブエナビスタ・ソシアルクラブの曲くらいのものだったのだけど、オープンカーで街を流しながら知っている曲を聞いたらさぞかし気持ち良いだろうと思ったのだ。
「もちろん!」
と言いながら、僕の隣に座った謎の男はUSBメモリをカーオーディオに差し込んだ。
程なくして始まった「Candela」は今まで聞いた中で一番格好よく聞こえた気がする。
自分がキューバを舞台にした映画のなかに飛び込んでしまったかと思ってしまう位に、流れゆく景色と音楽がマッチしていた。
革命広場では少し車を止めて観光の時間がもらえたのだが、先に1回訪れた事があった僕は車の写真ばかり撮っていた。



両手に花、のこの先一生こんな恵まれたものは撮れないと思える写真も撮ってもらった。
革命広場を後にし、ベダード地区と言われる新市街や海沿いを走るマレコン通りをドライブしオールドハバナに戻って来た。
1時間はあっという間に過ぎ、もう時間が無いからと言われて乗った場所からだいぶ離れた場所で降ろされる事になってしまった。
ドライバーと女子達の間に入っていた僕は彼女達をかなり歩かせてしまう事が申し訳なく思っていたのだけれど、彼女たちは文句1つ言う事も無く3人で観光客で溢れかえるオビスポ通りをアイスを食べたりしながら宿へ向かって歩いて行った。
腹が減ったと言う事で、僕のおすすめの立ち食いスパゲティ屋にも寄った。
パスタと言うには麺にコシも無くソフト麺のような味わいなのだが、値段の安さとそのB級グルメ感がたまらなく僕のツボに入っていた店があったのだ。
美味しいと感じていたのは僕だけかもしれなかったので、本当にその店で良いのか彼女たちに何回か確認したけど、興味をそそったのか彼女達も行く事に乗り気だった。
ピザとパスタを扱う立ち食いのその店はキューバ人には人気の様でいつも客が並んでいた。

注文方法を彼女たちに伝えて、僕は見本となるべくキューバ人をかき分け「Espaquettis Doble Queso」を注文した。
一番安いチーズのかかったスパゲティにチーズ増しをしたダブルチーズ・スパゲティだ。これで17CUP、キューバ人民ペソ払いの安い食事なのだ。日本円でおよそ85円。

彼女たちも無事に注文を済ませ、スパゲティが出てくるのを待った。
自分しか美味しいと思ってなかったらどうしよう…せっかく女の子を連れてるんだからもっとマシな店に行けばよかったか…などと思いながら。
出てきたスパゲティを店の横で3人並んで食べ始めた。
粘土の低いサラサラしたソースは僕の白いTシャツにいくつもの赤い点を残していく。
チーズは良く言えばクセのない、悪く言えば香りのないものだ。

スパゲティを口に運ぶ彼女たちの反応が気になってしょうがない。
けれど、彼女たちは意外とそのスパゲティを気に入ってくれたようで僕はホッとした。いや、社交辞令的に大人な対応をしてくれただけなのかも知れないのだけれど。
そんな彼女たちの姿を見たせいか、後に僕はそのスパゲティの店を記事にして世界新聞さんに投稿する事になる。
宿に戻り、ツアー代金を清算しようと僕が言うと代金を立て替えてくれていた彼女たちは僕から金を受け取ろうとしなかった。
僕がドライバーとの間に入って通訳めいた事をした事を感謝しているからだ、と言うのだ。
僕は1人じゃ出来なかった事に誘ってもらった恩もあるし、「いやいや払いますよー!」と返した。
結局ツアー代金は受け取ってはもらえなかった。さらには僕のTシャツについたスパゲティのソースのシミを取るため、洗濯石鹸とそれ用の歯ブラシまで貸してくれた。
お金がダメなら何か他に…と考えているとある事が閃いた。
先日手にしたチェ・ゲバラの肖像が描かれた真新しいキューバのお札を彼女たちにプレゼントとして渡す事にしたのだ。

これもお金なのだけど、価値としては自分が払うべきツアー代金の数パーセントの価値しかない。
彼女たちはそれを気持ちよく受け取ってくれた。
嫌な奴や偏屈な奴も多い旅人の世界だけど、こんなにも気持ちの良い旅人に会う事が出来たのは素晴らしい思い出の一つだ。
今度彼女たちに会える日が来たら、その時は格好良く飲み代を払いたいもんだ。
Comments