2円のバスに乗って革命広場へ~キューバ放浪記・ハバナ~
- ナシオ
- 2017年10月31日
- 読了時間: 6分
飲みすぎたせいか移動の疲れなのか、僕は昼前まで眠っていた。
安宿にもかかわらずクーラーが付いたドミトリーだったからそんな事が出来たのかもしれない。
宿の無料の朝飯を食べ損ねた僕は通りに出て遅い朝飯を取る事にした。
まずはコーヒーを飲みながら煙草を一服したいところだ。宿の階段を降り背の高い扉を開けて通りに出ると、前の晩に酒を飲みに行ったカフェバーの前でコーヒーをすする人々の姿が目に入った。
カフェバーの路上に面したカウンターに行き、コーヒーを頼む。1杯が1人民ペソ。「モネダ」と呼ばれるその金の価値は4円か5円程度だ。
こんなに安いコーヒーは飲んだ事が無い。
キューバは2種類の通貨が存在していた。1つは「CUC(クック)」と呼ばれる外国人旅行者向けの通貨。そしてもう1つが「CUP」、これがモネダと呼ばれるキューバ人民が主に使っている通貨だ。
1USドルが1CUC、1CUCが25CUPと言うレート。この計算を頭の中でやらなくてはいけないのでキューバに着いた頃はよく混乱して、日本円でこれが幾らなのかがパッと計算できない事もあった。
基本的にモネダで支払うローカルの店は安価に食事や買い物が出来た。モネダが手元になければそれ相当のCUCで支払う事も出来た気もするけれど、CUCとモネダが混じったお釣りが帰って来るような事もあって、その時はもう日本円へ換算する事は諦めていた。
そんなモネダ払いのコーヒーは熱燗をすするお猪口ほどの大きさのカップに入ったエスプレッソだった。
魔法瓶から注がれた作り置きのコーヒーはたっぷりと砂糖が入っていて、甘くて濃い僕の好みに合ったものだった。少しもの足りない量だったが、濃いコーヒーのおかげでいくらか二日酔いで重たかった頭が冴えて来た。
けれども遠くまで飯を探しに行くのは面倒だったので、目と鼻の先にあった店で出来合いのハンバーガーとコーラもどきを買って宿に戻る事にした。
宿に戻り天井の高い共有スペースでハンバーガーにかぶりついていると、前の晩一緒に行動していた3人の女の子達が荷物を抱えて現れた。3人で一緒にトリニダーと言う街に行く事にしたらしく、宿で乗り合いタクシーを手配してもらったそうだ。
街と街との移動にタクシーとはずいぶん豪華な旅だと思ったけれど、話を聞けばトリニダーまでは6時間もかかり、さらには外国人向けのバスと値段がほとんど変わらないと言うのだ。バスターミナルに行く手間もかからないし、希望するトリニダーの宿まで運んでくれると言うから乗り合いタクシーの方が同じ値段でもかなり楽が出来るようだ。
しばらくしてタクシーがやって来たので僕は彼女たちの荷物運びをちょっとだけ手伝い、彼女たちを乗せたタクシーが去って行くのを見送った。さほど長い時間一緒に居た訳でもないのだけど、4人のうち1人だけ残るとさすがに淋しい気がしてしまった。
キューバについてほとんど事前に調べもせず限られた情報しか手にしていなかった僕は、人気の少なくなった共有スペースで「情報ノート」に目を通すことにした。
あまり普及していないインターネットのおかげで、宿に置いてあった「情報ノート」は今まで旅してきた場所で見たものよりも新しい書き込みが多く良い情報源になっていた。
小さめのノートで3冊か4冊あっただろうか、安い飯屋から耳にした事のない名前の街の情報まで有益な情報がてんこ盛りだ。
今日この後どうするか、と考えながらページをめくっていると「革命広場への行き方」と題されたページにたどりついた。
「宿のそばの公園から出るP12のバスで0.4モネダで行くことが出来る。」
0.4モネダ⁈40セント⁈
1モネダを5円と考えたって2円じゃないか!
2円で乗れるバスなんてこの世の中で滅多にお目にかかれるものでないし、革命広場は行っておきたかった場所の一つだったので、公園の位置を頭に叩き込むとすぐに宿を出る事にした。
情報ノートに書かれていた公園に着き、程なくしてやって来たバスは思いのほか壊れていたり汚かったりするものでは無かった。多くのキューバ人に混じって20セント硬貨2枚を支払って乗り込んだ。
本当に2円でバス乗れてしまった事に感動したのも束の間、公園を出発する頃にはバスは満員御礼状態になっていた。
この先いくつか停留所を経由していくであろうに、はなっからこの混みようだと幾らか先が思いやられた。
停留所に着くと、そこには「バスを待っていた」と言うより「バスを待ち構えていた」人々の姿があった。混んでいる車内にさらに人が詰め込まれていく。
けれども乗る人だけでなく降りる人も多かった。
押し合いへし合いの車内を移動する人々から、
「コン・ペルミ~ソ~!」
の声が聞こえて来た。
日本語で「すみませ~ん!」と言う意味なのだが、大きな声なのに怒鳴るわけでもなくどことなく心地の良いものだった。
大きなお尻をしたキューバのおばちゃんやおねーちゃん達が放つ「コン・ペルミ~ソ~!」はまるで歌うかのように軽やかで、彼女たちの明るさなのか陽気さなのか、とてもポジティブなものを感じた。
目的の停留所に着くと僕も同じように「コン・ペルミ~ソ~!」と高らかに発しながらバスを降りた。日本の通勤電車でやったら頭のイカレちまった奴に思われるかも知れないけれど、キューバではパッと道は開かれ、人とのトラブルを回避する魔法の呪文みたいだった。
バスを降りて革命広場を目指す。
バスを降りて気づいたのだが、目的の停留所を一つ過ぎてしまった所で降りていたようだった。
政府機関の建物があったりするせいか、革命広場の辺りは道路の状態も良く清掃もされていて、泊まっているシオマラの家の界隈とは全く違った雰囲気だった。
見えて来た。

写真で何度も見たビルに施されたチェ・ゲバラの肖像の姿が。
キューバ革命よりも昔、キューバ独立革命の英雄ホセ・マルティの姿もあった。

僕は急ぎ足でチェ・ゲバラの元へと向かった。
目の前まで来るとそれがかなり大きいものだったことに気づかされる。

映画で見た場所、いわば聖地巡礼にやって来たようなちょっと感慨深いものがあった。
チェ・ゲバラと対になるような形で別のビルにはもう一人の革命の英雄カミーロ・シエンフエゴスの肖像もあった。

チェ・ゲバラはカミーロ・シエンフエゴスを尊敬し、息子にカミーロと名付けたほどだ。

庶民の出だったカミーロ・シエンフエゴスは革命闘争中事あるごとにフィデル・カストロから「Voy bien Camilo?」、「カミーロ、俺はうまくやっているか?」と聞かれていたそうだ。
そしてその答えが肖像の横に書かれていた。
「Vas bien Fidel」、「上手くやっているよ、フィデル。」と。
そんな逸話を思い出していると、現代史ながらもキューバ革命が「国盗り物語」や「三国志」などの大昔の物語のような、どこかロマンを感じる物語の一つのような気がしてきた。
ホセ・マルティの背後には馬鹿でかい塔があった。

殺風景にも思えるこの広場は、5月5日のメーデーなどには人で埋め尽くされると言う。
外貨稼ぎに忙しい観光客用のアメ車タクシーの背後にはチェ・ゲバラやカミーロ・シエンフエゴスが描かれたプロパガンダポスターの姿があった。

一通り観光を終えたアメ車が連なって走り去って行く。

2円でバスに乗って大喜びしていた僕からしたら数時間の乗車で数十ドルもしてしまうこのタクシーは縁が無いように思えた。
けれど人生何が起こるか分からないもので、僕は女の子2人とオープンの56年型のキャデラックに乗って再びこの広場にやってくる事になるのだ。
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