チェ・ゲバラの家まで~キューバ放浪記・ハバナ~
- ナシオ
- 2017年11月5日
- 読了時間: 6分
「シオマラの家」の朝食はパンに卵焼きとグアバジュースとシンプルなものだった。
コーヒーが付いて来るのも嬉しかったが、何より朝食を取るかどうか確認した後に焼いてくれる卵焼きの暖かさが嬉しかった。
ある朝、僕はそれらを平らげてすぐに街へ出る事にした。
午前中は宿でコーヒーを飲みながら煙草を吸って終わってしまう事が多い旅路の日々だったのだけれど、キューバに入ってからはこの国に対する好奇心の強さのせいか、まずは表に出てみようと言う気持ちになっていた。
人民ペソ、モネダの手持ちが少なかったのでまずは両替所へ向かう事にした。
シオマラの家を出て旧国会議事堂、カピトリオの方へ歩いて行く。ピカピカに磨き上げられた観光客用のアメ車のタクシーが並ぶマルティ通りを越えて車一台が通る事が出来るくらいの幅しかないオビスポ通りに入って行く。
けれどその狭い通りは文豪アーネスト・ヘミングウェイが常宿にしていたホテルや、夜になれば生演奏のバンドを聞きながら食事や酒を楽しめるレストラン、そして無数の土産物が立ち並ぶ通りだった。
観光客で溢れかえる通りを端から端まで歩いて公園に辿り着き、そこを右に曲がってしばらく行くとCADECAと呼ばれる両替所があった。オビスポ通りにも両替所はあるのだが、こちらの方が幾らか空いていると言う話を聞いたのでやって来たのだ。
けれど皆その事を知っているのか、こちらも長蛇の列が出来ていた。

キューバはとにかく何をするにも待たされ時間がかかると言う話を聞いていたので、「おぉ、これがキューバ名物の長蛇の列か!」と実際にそれを体験する事が出来てちょっと嬉しくもあった。待たされて嬉しいなんてどうにかしてるんだけども。
待ち時間がどれだけだったかは覚えていないが、じりじりと入り口に近づいていき、警備員が開け閉めするドアの前まやって来た。あと少しで待つ事から解放されると言う事が分かってからの待ち時間がなんとも長く感じるのはなぜだろうか。
待たされる事が嬉しくも無くなり苦痛になりかけた頃、警備員の導きで両替所に入る事が出来た。
外国人向けのCUCと言う通貨から人民ペソ、モネダに幾らか替えてもらうついでにチェ・ゲバラが描かれたお札も幾らか混ぜてくれとお願いしてみた。
不愛想な係員だったのでその願いが通るか心配だったけれど、6枚のゲバラの描かれた新札をポーンと渡してくれた。おとなしく並んだ甲斐があったもんだ。
ゲバラのお札をメモ帳に大事に挟みこんでから両替所を出てその辺の段差に腰かけ一服つく事にした。老いも若きも至る所で煙草をスパスパ吸っている国なので、日本のように禁煙ファシストなども居る訳もなく、ヘビースモーカーの僕からしたら居心地の良い国だ。
さてどこへ行こうか。
僕はiphoneの地図を見ながらどこへ行こうか考えていた。
自分が今いる場所は海に近いようだ。埠頭の一部分から破線が書かれていて、対岸までつながっている。どうやらフェリーがあるようだ。その対岸まで行けばチェ・ゲバラの邸宅まで歩いて行けそうだった。
ゲバラのお札も手に入れた事だし、僕は彼の家までお邪魔しに行く事にした。
オビスポ通りの辺りからフェリー乗り場の辺りまでは状態の良い建物が多く、壁も鮮やかに塗られていたりして明るい雰囲気だ。

壁とアメ車のコントラストも絵になる。

途中、ゲバラの壁画もあった。

フェリー乗り場の入り口では荷物チェックがあり、それをやりすごして乗船の直前に運賃を支払った。バスのように格安で乗れるような話も聞いていたのだが、20モネダ、100円弱位を要求された。これは外国人料金なのかもしれないけれど、大した額でもないので言われるがまま支払った。
地元のキューバ人に混じって観光客の姿が見える。

その比率と言うか観光の為だけでなく庶民の足の為だけでもないフェリーの在り方が、初めての長旅で気に入った香港のスターフェリーを思い出させるものだった。もっともハバナのフェリーは椅子も無くフェリー自体も小さいのだけれど。

対岸に到着すると、そこは「CASA BLANCA」と名付けられた電車の駅があった。

電車はこれまた古ぼけていて、記念として展示されている物かと思ってしまった。帰り際に写真を撮ろうと思ったのだが、戻ってきた頃にはその姿は無く、どうやら未だ現役で走っているようだった。
カサブランカ駅から坂道を登って行くと給水車がある建物の前に止まっているのが見えた。

日本だと災害時位しかお目にかかれないような給水車を見て、インフラがまともに整備されていないのか機能しないのかキューバの現状を垣間見た気がした。
強烈な日差しをを浴びつつ、横目に対岸でひと際存在感を出しているカピトリオを眺めながら坂道を登って行くと、頂上付近に大きなキリスト像があるのが見えた。

そのキリスト像の向かいにポツンとゲバラの邸宅はあった。

邸宅の敷地の入り口にある守衛所のような場所で6CUC、700円弱の入場料をやる気の全く見えない係員に支払い邸宅へと向かった。

中に入るとまず、大きなゲバラの絵が出迎えてくれた。

入り口のそばには執務室。

そして寝室。

邸宅内部は至る所にゲバラの写真が飾られていた。

中でも印象的だったのは寝室に飾られていた、真剣な面持ちでフィデルと向き合うゲバラが写されている写真だった。

ゲバラをテーマにしたアートが展示されているだけの部屋もあった。

その部屋で見た一枚の絵は、ゲバラがキリストに見えてしょうがなかった。

もはや英雄を飛び越え聖人の域に達しているのだろうか。フィデルと共に31歳と言う若さででキューバに革命をもたらしたのだから非凡な人物である事は間違いないが。
そんなチェ・ゲバラがここに居たのかと思うとはるばるやって来て良かったと思えてくる。
けれども説明してくれる事も無くどの部屋に行っても付きまとう、どちらかと言うと険しい顔付きで僕の一挙手一投足を監視しているような係員が鬱陶しくなって僕はここを出る事にした。
僕は邸宅を出て大きなキリスト像のある公園で一休みする事にした。
ベンチに腰掛け煙草を吸っていながら係員の鬱陶しさを振り返ったのだけど、監視カメラも無さそうだったし、ああやって見張るしかなかったのかな?と物質的に豊かではない国に居ると言う事を忘れていた自分がちょっと情けなくも思えた。
公園のあたりからは対岸の旧市街が良く見渡せた。

心地よい海風に吹かれ街を眺めているとじっとしていられなくなってきた。
「さて、次は何を見るのだい!まだまだお前の知らないキューバが待っているんだ!」
バイクにまたがり南米を旅したゲバラがそっと僕の背中を押してくれたのかもしれない。
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