”旅は道連れ余は情け”飲んだくれ紀行~クアウトラからオアハカへ~
- ナシオ
- 2016年8月9日
- 読了時間: 6分
2段ベッドが5台、10人が収容出来るドミトリーには僕1人しか居ない。 この宿に来て数日経ったが、他の客の姿はほとんど見ないし、僕の部屋に新顔が来る事もない。 オアハカに到着したのは先週の金曜日の朝だった。 久しぶりの移動でくたびれ、飛び込みで入った宿の部屋を見せてもらうと広く綺麗なドミトリーには客が居なかった。 セイフティボックスやWi-Fiもあり設備的には文句なしだ。 140ペソと多少高い気もしたが他に客が来る気配も感じなかったのでチェックインする事にした。 寝床を手にしホッとしたので、宿の中庭でコーヒーを飲みながらメキシコシティからの道中を振り返った。 「ケイさんも行きませんか?クアウトラへ?」 メキシコシティのペンションアミーゴで同室だったMさんからのお誘いが全ての始まりだった。 Mさんとは同い年という事もあり、共に酒を飲んだり食事をしたりと仲良くなるのに時間はかからなかった。 溜まっていた宿代を一旦清算し、三週間もペンションアミーゴに居てしまった事に気づいた夜にMさんからメキシコシティ近郊のクアウトラ行きのお誘いがかかったのだ。 これは何かのタイミングだな、と思いパッキングを済ませ翌日の移動に備えた。 翌日ベッドを片付け、いつまでも居られてしまうペンションアミーゴに分かれを告げて南方面行きのバスターミナルへ向かった。

メトロに揺られ30分ほどで南バスターミナルへ到着した。別で動いていたMさんと合流し、残り2人の同行者を待った。 程なくして2人がやってきた。 2人はメキシコシティで陶芸をやっているご夫婦との事で、物腰の柔らかい感じの良い夫婦だった。 いきなり彼らに同行する事になり少し申し訳ない気もしたが、クアウトラ行きのチケットを買いバスに乗り込んだ。 クアウトラはメキシコ革命の英雄エミリアーノ・サパタが生まれ死んだ土地だと言う。それだけでも興味深いのだが、今回はそこで農家として暮らす日本人の方のお宅へ一杯やりにお邪魔すると言うのだ。 2時間ほどでクアウトラに到着し、近場の宿にチェックインすると農家の息子さんが車で迎えに来てくれた。 息子さんは見た目は日本人なのだが、どことなくワイルドさを感じるのはメキシコ育ちだからだろうか。 などと考えていると、大きな鉄扉がある家の前で車が停まった。鉄扉がゆっくり開くと車はその中に進んで行った。ずいぶんと大きなお宅だ。 家主のSさんが出迎えてくれた。 眼鏡をかけハツラツとしたSさんは奥さんと子供6人で暮らしているとの事。さらに3人居るのだが、今は日本で学校に通っているそうだ。 大家族なのもメキシコ流なのか。 「さあ飲みましょう!」とSさんの号令で宴会は始まった。

広い敷地の母屋の外に出したテーブルで皆で乾杯し、どんどん杯を重ねて行く。土地の美味しいものを、とバーベキュー台でセシーナと呼ばれる干し肉を焼いてもらう。 薄く切られ程よい塩加減のセシーナは何枚食べても飽きが来なかったが、感動したのはSさんの畑で採れた長ネギの美味さだった。 酒も進み色々な話をしていると、Sさんの母方の家系が小笠原の出身だと分かり話が大いに盛り上がった。 タマナやギンネム、昔の扇浦の話をしているとメキシコの片田舎でこんな巡り会いがあるのかと不思議な気分になってしまった。 日付が変わる頃まで沢山の話をしていただいたあと、僕ら4人は宿へ戻った。 翌日、深酒のせいでチェックアウトギリギリまで寝てしまった。備え付けの電話が鳴り起きると、Sさんが迎えに来ているとの事だ。 慌てて支度を済ませロビーに降り、待たせてしまった非礼を詫びる。 「飯を食いに行きましょう!」とSさんのオススメの定食屋へ向かう事に。 通り沿いの簡素な作りの食堂に着くと、早速ビールで迎え酒だ。目が覚めたかと思うとスグにほろ酔いが来た。

パンシータと呼ばれるホルモンをチリなんかで煮込んだ料理を頼み、店のおばちゃんが手でこねたトルティーヤと共に食べた。

パンシータも良かったが、手で作られたトルティーヤは抜群の美味さだった。 4人で2リットルのビールを開け、調子も出て来たところで一度Sさんのお宅へ行きしばし休憩をとった。
野菜の苗を育てているハウスなんかを見学させてもらった。

僕がオアハカを目指している事を知ったSさんは色々と調べてくれていた。正確な時間やその日も運行されているか分からないからバスターミナルに聞きに行こうという事になった。 ターミナルへ行き話を聞くと毎晩オアハカ行きは運行しているが、メキシコシティからの客が優先なのでココでは予約出来ず空席待ちが必要だという事だった。 よし、それだ!と僕はオアハカ行きを空席待ちに賭けた。 テンポ良く僕らを案内してくれるSさん。次は革命時エミリアーノ・サパタにぶっ潰された大荘園の跡へ連れて行ってくれた。

大規模荘園主は小作人からしたらボスであり富を独占する敵である。それを変える為立ち上がったサパタは農民たちの英雄なのだ。

それにしても大荘園だ。

礼拝堂だった部屋の窓の上に切られた三角形の切れ込みは、明かりを沢山とり入れる為の工夫なのか。先人の知恵と工夫を感じた。

大荘園を後にし、車を30分ほど走らせトラヤカパンと言う街へ向かった。 焼き物が沢山並ぶ小さな街なのでSさんは陶芸家夫妻に見せたかったそうだ。時間を気にしながらも、街の修道院まで案内してくれるSさん。

何から何まで世話になりっぱなしである。 Mさんと陶芸家が夜20時頃のバスでメキシコシティへ帰ると言うので、トラヤカパンからSさんのお宅に戻りビールを飲みながら残りの時間を過ごす事になった。 おつまみに、とまたセシーナを焼いてくれる奥さん。昨晩から僕らの為に動きっぱなしだ。 前日から僕らは飲んで食べて。
一宿一飯の恩義を感じた。 変わりに農作業の手伝いでも、と考えたが何日も居たらあつかましいような気がしてしまい次回お邪魔する事があればそうさせて下さい、とSさん夫妻に伝えた。 時間が来たので、息子さんがバスターミナルまで送ってくれる事になった。 Sさん夫妻、そして子供たちみんなと挨拶を交わして家を後にした。 ターミナルで今回のクアウトラ行きに誘ってくれたMさんと陶芸家夫妻と別れの挨拶を済ませ彼らを見送った。 20:30発のメキシコシティ行きのバスが出た後、急に1人になり寂しい気持ちになった。 さっきまで皆でワイワイガヤガヤ飲んでいたのになぁ、と。 出会いと別れが毎日繰り返される長旅の道中だ。これもまた旅だから感じるものなんだな。
「旅は道連れ世は情け」 空席待ちでただバスを待っていれば良いとの話だったのだが、暇を持て余しチケットカウンターで話を再度聞くとバスを待たずにチケットを発券してくれた。どうやらメキシコシティを出発した後なので空席が確認出来たようだった。 23:30発オアハカ行きは結局0:00過ぎにやって来た。 さほど深い眠りにはつけなかったが、ハッと目が覚めるとオアハカに着いていた。 朝8:00頃だった。 街はもう動き出していた。 僕は薄曇りの天気のなか宿を探すべく歩きはじめた。
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