

七色を持つ湖へ~バカラル・メキシコ~
七色を持つ湖、バカラル湖は話しに聞いていた通り美しい湖だった。 南北に4〜50キロも細長く広がった湖の西側に、湖の大きさからしたら1つの点程の大きさのバカラルの街がある。 その点ほどの街には湖沿いの道があり、僕は宿のレンタサイクルでそこを流しながら湖をのんびり眺める場所...


ハンモック泊、一泊75ペソなり~バカラル・メキシコ~
ベリーズと国境を接するメキシコの街、チェトゥマルに入って何だか少しほっとしていた。 初めて訪れた都市にも関わらず、この旅で3度目のメキシコ入国と言う事実がどこかホームグラウンドに帰って来たような気がしたのだ。 グアテマラのペテンからベリーズの旅を共にした友人とはベリーズから...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅・補足情報~メキシコ~
自分らしくない事をしたせいか、はたまたその結果に満足したのか、タパチュラを離れグアテマラに入り2週間ほどのんびりしている。 今回は、自分なりに調べ訪れた「メキシコの日系移民の歴史の足跡」に関する場所などの情報を記しておくことにする。...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑧~タパチュラ・メキシコ~
二度目のアカコヤグアへの旅を終え、見るべきものは見たような気になっていた。 あとはタパチュラにあるいくつかの日系人ゆかりの場所を見学すれば、自分なりの「メキシコの日系移民の足跡」をたどる旅も終わりだと思っていた。 毎日行われる「タパチュラ日系文化クラブ」の何かしらのコースに...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑦~アカコヤグア・メキシコ~
どうしても見ておかなくてはならない気がした「Rancho Tajuko(タフコ農場)」はアカコヤグアの村から少し離れたところにあった。 先日、浜田さんに連れてきてもらったアカコヤグアなのだが、どうしてもその農場が見たくなり今度は一人で尋ねる事にしたのだ。 「Rancho...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑥~タパチュラ・メキシコ~
アカコヤグアから帰り、再びタパチュラ日系文化クラブの日本語のコースに参加した。 普段ボケーっと過ごしている自分からした大忙しの一日である。 生徒は小児科医のドクトル・ペレスさんと言った。 日本語を始めて一年だそうで、その日本話を聞くと自己紹介は何とかクリアできると言ったレベ...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑤~アカコヤグア・メキシコ~
記念碑、墓地とアカコヤグアの村にある日系移民の足跡をたどった後、浜田さんは一軒の家を尋ねた。 アカコヤグアには「江戸村」と名付けられた日本・メキシコの文化交流の為に作られた文化会館があり、その管理者を尋ねると言うのだ。 江戸村の管理者、ヴェロニカさんは不在だったが家族の方が...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅④~アカコヤグア・メキシコ~
タパチュラからジャングルを突っ切るように通る一本道を浜田さんの運転する車は走っていく。 車の外は暑いが、車が走っていれば窓から入る風が心地よい。 およそ一時間ほど走ったアカコヤグアの村の手前あたりで浜田さんは急に車を止めた。...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅③~タパチュラ・メキシコ~
1897年榎本殖民団が上陸したプエルト・チアパスへ足を運んだ翌日、浜田さんの運営する「タパチュラ日系文化クラブ」へお邪魔する事になった。 日系二世の浜田さんが運営するクラブでは、日本語教室・合気道(剣術・護身術を含む)・禅・折り紙などのコースを開催している。13年前からクラ...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅②~タパチュラ・メキシコ~
タパチュラ到着初日に日系の方と会う事が出来た僕は、翌日「榎本殖民団」が到着したと言うプエルト・チアパスへ足を運ぶ事にした。 榎本殖民団とは、幕末から明治にかけて活躍した武士・政治家である榎本武揚の主導のもとで組織された移民グループである。...