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「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅④~アカコヤグア・メキシコ~

  • ナシオ
  • 2016年10月5日
  • 読了時間: 3分

タパチュラからジャングルを突っ切るように通る一本道を浜田さんの運転する車は走っていく。 車の外は暑いが、車が走っていれば窓から入る風が心地よい。

およそ一時間ほど走ったアカコヤグアの村の手前あたりで浜田さんは急に車を止めた。

何事かと思っていると、白と赤の小さな塔の方へ浜田さんは向かっていった。呼ばれたのでそこへ向かうと、「Dr.OTTA(ドクトル・オオタ)」と呼ばれた太田連二氏の功績を讃えた碑だった。

存在を知らなかったこの記念碑に出会えた事で、この日の「メキシコの日系移民歴史をたどる旅」の幸先が良いなと感じた。

この時はどういう人だか詳しく分からなかったのだが、後日調べてみると榎本殖民団36人の1人であった。 彼は医学の素質があったようで、医師ではないが太平洋横断中の船の中でも病人の面倒をみたりしていたそうな。

入植してからは日本人医師ニヘイ氏に従事して医学を習った後、医師として貧しい人から金もとらずにその面倒を見た人だそうだ。

「医は仁術なり」をそのまま実践したと言えばよいのか。

そんな心優しきドクトル・オオタは1917年42歳にして黄熱病で倒れ、亡くなってしまう。

街道の脇に佇むこの塔はアカコヤグア周辺の地元の人々を怪我や病気から守ったドクトル・オオタのその功績を讃えていたのだ。

アカコヤグアに到着してまず向かったのは「榎本殖民記念」と書かれた塔のある公園だった。 小さな村の公園のおよそ中央に位置する記念碑は榎本殖民団がメキシコに渡って70年の記念に建てられたものだ。

見たかった、訪れたかった場所に居る事でグッとテンションがあがり、何枚もの写真を撮った。

メキシコの端っこの方のこんな小さな村にこんな立派な記念碑があるとは。日本とこの小さな村の強い関係性を感じた。

塔の裏面には「夏草やつわ者どもの夢の跡」と書かれており、下の方には榎本殖民団36名の名が刻まれている。

それぞれの人にはどんなドラマがあったのか?などと想像してみるが、十人十色、それぞれの数奇なドラマがあったに違いない。

公園の一角には秋篠宮殿下が日系移民100周年を記念して行われた植樹を記す看板があった。

「だけどその木が見当たらないだよなぁ。」と、浜田さんは笑いながらその看板を説明してくれたが、確かにその木がどこにあるのかは分からなかった。

アカコヤグアの公園は日系移民を讃えつつも、木陰も多く村人の憩いの場として緩やかな時間が流れていた。

しばらく公園を見学したあと、アカコヤグアの公営墓地を訪ねた。

村はずれにある墓地には、メキシコ人の派手な色のお墓に混じって日本人・日系人のお墓があった。

崩れかかった盛り土、お墓のある場所を踏み荒さないように奥へと進む。

「先達 PIONERO」と書かれたお墓。

先人たちへの尊敬と熱い思いを感じる。

現在この地方のほとんどの「日系」の人々は日本語を話す事が出来ないと聞いた。

しかしこういったものを見ると、今を生きる日系の人々は多くの血が混じりながらも「日系」である事はしっかりと意識しているのではないのだろうか?と思う。

村の一角にある小さな商店には「KYOUDAI(兄弟)」の名がつけられていた。

おそらく日本ではあまり知られていないであろうこの村は、確実に日系移民の歴史の足跡を残していた。

墓地を尋ねた後、ここまで連れて来てくれた浜田さんの好意や人脈で、さらに多くの日系移民に関する場所や日系の方々に巡り合うことになる。

 
 
 

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