七色を持つ湖へ~バカラル・メキシコ~
- ナシオ
- 2017年5月15日
- 読了時間: 4分
七色を持つ湖、バカラル湖は話しに聞いていた通り美しい湖だった。 南北に4〜50キロも細長く広がった湖の西側に、湖の大きさからしたら1つの点程の大きさのバカラルの街がある。
その点ほどの街には湖沿いの道があり、僕は宿のレンタサイクルでそこを流しながら湖をのんびり眺める場所を探した。 問題なのは湖の周りの多くがプライベートな場所になっていて、遠目に見て良さそうな場所だと思ってもそこには近づく事が出来ない。

けれど何度も湖畔の道を行ったり来たりしてるいると、湖を楽しめそうな場所がいくつか見つける事が出来た。 比較的施設の整ったパブリックエリアが一ヶ所。

街の北側の人気の少ないパブリックエリアが一ヶ所。

更に有料と言っても50〜60円の入場券を買えば入る事が出来る施設が一ヶ所あった。

その三ヶ所に行ってみたが、一番人気の少ない北側のパブリックエリアでゆっくり過ごす事にした。 そこは湖畔沿いの道路からは奥まった場所にあり、下手すると見つけられなさそうな場所だった。 森林公園のような場所を通り抜けると、湖に伸びた木の桟橋が現れる。

何ヶ所か板が抜けていたりするオンボロの桟橋だが、その先端まで行く事は出来る。 正面には湖底の砂地がわかる程の無色透明からどんどんと青さを深めて行く湖があり、その先には対岸の森の緑が広がっている。

対岸の緑が無ければ、カリブ海が目の前にあると錯覚してしまいそうな光景だ。
桟橋から左右を眺めれば、その左右それぞれで違った青色の移り変わりを見る事が出来る。

「七色を持つ」と聞いて虹のようなカラフルさを想像していたが、実際には透明から水色、水色から青、青から紺色といった具合の「七色」だった。 朝焼けや夕焼け時にはまた違った色を見せてくれるのだろうけれども。 何時間かその場所にいたが、チラホラと人がやって来てはすぐ帰って行くので喧しい団体に囲まれると言った事も無く、静かに穏やかに七色の湖を飽きる事なく眺める事が出来た。
「チェトゥマルの安宿で話を聞かなければバスに乗って素通りしていたかもしれない場所なんだ。」
湖を話を聞かせてくれたスイス人のバックパッカーとの出会いを振り返っていると、ある事を考え始めた。
時代の移り変わりともに主な旅の情報源についてを。
古くは旅行記やガイドブックからや世界中に点在する日本人宿の情報ノートや安宿での旅人同士の会話。今では個人のブログや旅を扱ったネット上の記事など、旅の情報源のデジタル化も進んだ。
ネットが無かったら今の旅路はこんなにも続いていたか分からないし、ネットが無かったら困る。
ネットの情報に大変お世話になっているし、ましてやネットで記事も書いたりしている。
もうインターネットありきの旅の時代だ。
ただ、自分の知っている言葉で自分がネットで検索をかけて拾える情報はそこまで自分の世界を広げてくれないんじゃないか?。
検索スキル次第で集めうる情報量も変わってしまうし、言語を変えて検索するだけでも入ってくる情報量の差はかなり出てくるし。
お気に入りの海外旅行系のサイトを見ていても、自分の興味のないタイトルなど読まないではないか。
そうして結局自分の趣味嗜好でネット検索したり記事を選んで読んだりするから、自分の世界を広げてくれるとは思えなくなる。
人と人が面と向かって対話して得られる情報の面白さは、ネット上の検索スキルが無くとも突如として自分の知らない想像しえなかった情報が入ってくる所じゃないか?
いくら相手の話が面白くなくてもネットのページを閉じる様に相手の話を遮る事も出来ないし、話す相手は趣味嗜好が全く同じである事も無いから出てくる話も意外性に富んでいるが多い気がするし…。
どちらが優れているのか…。
何とも不毛な「デジタル対アナログ」の対決を頭の中で始めてしまいそうになった頃、桟橋の先で遊ぶメキシコ人の親子が目に入って来た。
親子を見て思考がほぐれたのか僕はどちらが優れているかを考えるのを止めて、「どちらも知る事ができる良い時代だ。」と不毛な対決に終止符を打った。
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