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「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑦~アカコヤグア・メキシコ~

  • ナシオ
  • 2016年10月8日
  • 読了時間: 2分

どうしても見ておかなくてはならない気がした「Rancho Tajuko(タフコ農場)」はアカコヤグアの村から少し離れたところにあった。

先日、浜田さんに連れてきてもらったアカコヤグアなのだが、どうしてもその農場が見たくなり今度は一人で尋ねる事にしたのだ。

「Rancho Tajuko(タフコ農場)」は榎本殖民団36名の内の1人、山本浅次郎氏が興した農場だ。中南米エリアでの日系移民が作った初めての農場という訳である。

今回のメキシコの日系移民の足跡をたどる旅でも重要な場所だ。

タパチュラからコレクティーボでエスクイントゥラまで行き、乗り合いタクシーに乗りかえアカコヤグアまでやって来た。

タフコ農場までは地図を見る限りは歩いて行けるようだったが、行きの道はトゥクトゥクに乗って行く事にした。

村から北へ進む道は次第に舗装も無くなり、トゥクトゥクもスピードを出せなくなった。

ジャングルの中をのんびり進む事10分程だろうか、見晴らしの良い場所に出てしばらくするとタフコ農場に着いた。

どことなく和風な門構えだ。

農場へ勝手に入るのもどうかと思い、門の外から農場を眺める事にした。

日系移民の始まりの地であって、現在もなお続く歴史ある農場。

このタフコ農場で、1901年『三奥組合』と言う組織が作られた。

『三奥組合』は、崩壊後もアカコヤグア周辺に留まった榎本殖民団6名によって作られた事業組合である。

「三奥」とは組合員の出身地、三河(愛知県東部地方)と奥州(東北地方)から一文字づつ取り名付けられた。

誰もが私有財産を持つ事が禁じられ、それらを組合の資本とした。

さらに組合員は組織としてあがった利益を組合の物とし、組合は給料の代わりに組合員の衣食住全ての代金を負担したという。

私有財産を持たず全ての組合員が平等な利益を得ると言う意味では、社会主義的・共産主義的な組織だったと言える。

この『三奥組合は』設立から5年で資本金を4倍にしたが、「殖民信用組合」~「日墨協働会社」と組合を改組して1911年のメキシコ革命の動乱期まで発展していった。

ロシア革命や中国共産党の誕生よりも前に、それらと近い思想で組織を立ち上げ発展させたという事はとても興味深い。

「榎本殖民団が失敗したから、こう言った組織が生まれたのか?」

そんな事を考えながら、農場を後にし田舎道をアカコヤグアの村へと歩いた。

 
 
 

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