「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑤~アカコヤグア・メキシコ~
- ナシオ
- 2016年10月7日
- 読了時間: 4分

記念碑、墓地とアカコヤグアの村にある日系移民の足跡をたどった後、浜田さんは一軒の家を尋ねた。
アカコヤグアには「江戸村」と名付けられた日本・メキシコの文化交流の為に作られた文化会館があり、その管理者を尋ねると言うのだ。
江戸村の管理者、ヴェロニカさんは不在だったが家族の方が電話で連絡を取ってくれた。しばらくしたら戻ってくると言う話を聞き、中庭で冷たいオレンジジュースを頂きながら彼女が戻ってくるのを待った。
程なくしてヴェロニカさんは戻って来た。
日系3世の女性ヴェロニカ・コムカイ・マツイさんは浜田さんと旧知の仲らしく、浜田さんが事情を説明すると彼女は江戸村に一緒に行き会館を開けてくれる事になった。
車を少し走らせると、村の北側の行き止まりになった道沿いに「江戸村」はあった。

田舎の村にしてはずいぶん立派な建物である。
ヴェロニカさんに鍵を開けてもらい中に入ると、その会館の綺麗さに驚いた。彼女をはじめとした日系の方々の力で綺麗に保たれているに違いない。

広い会館の端っこにあったテーブルの上に一枚の古い写真が飾られていた。

これは1914年5月24日、昭憲皇太后(明治天皇の妃)の大喪の礼の時にエスクイントゥラにあったドクトル・オオタ(太田連二氏)の家に集まった日系移民の方々の写真だった。

祖国を離れても日本の国事に合わせて日本人の集まりを異国の地でも行っていたとは。
その写真の前に一冊の漫画があった。
『Los Samurais de Mexico』

ネットでメキシコの日系移民を調べていた時に知った漫画、『サムライたちのメキシコ』のスペイン語版だった。
表紙の内側に江戸村会館のスタンプが押してあり、日本語の分からない日系の方の為にこの会館に置かれているようだった。
それを手に取り見ていると、ヴェロニカさんは漫画を僕にプレゼントしてくれると言った。
さすがにこの会館における貴重な文献だと思い何度も辞退したが、ヴェロニカさんの好意に負けて頂く事にした。
漫画はスペイン語だったが宿に帰り辞書を引きつつ目を通すことで、スペイン語の勉強と日系移民の歴史に
ついて知識を深めることが出来た。
このブログで書いている榎本殖民団についての情報もこの漫画からによるところが大きい。いずれはこの漫画は江戸村へ送り返させてもらうか、これらの話に興味を持った人の手へ渡れば良いかな?と思っている。
さて、そろそろ行きましょうかと浜田さんから声がかかり江戸村を後にする事になった。もう少し詳しくお話を聞いてみたい気持ちもあったが、ヴェロニカさんとはここでお別れする事になった。

(左:浜田さん・右:ヴェロニカさん)
次に向かったのは「Escuela Segundaria Centenario De La Migracion Japonesa(日系移民100周年記念中学校)」だ。
日系移民の入植100周年を記念に学校の名前が替えられた学校だった。

この学校は日本政府や在墨日本大使館、さらにはメキシコヤクルトの社長「ドン・カスガ」とも呼ばれる日系二世のカルロス・春日氏から多くの援助を受けているそうだ。
浜田さんが学校関係者と話をし、敷地内や教室を見学させてもらえる事になった。

ちょうどその日の授業は終わった所だったので生徒の姿は無かったが、教室は電子黒板も備える立派なものだった。


生徒さんだろうか、日本の国旗をバックパックにつけている女の子の姿もあった。

聞いた所によるとカルロス・春日氏は江戸村の目の前にある彼の家の一つを教職員の寄宿舎として寄贈しているそうだ。
後でその家にも足を運んだのだが、各部屋にはエアコンも取り付けられていて、手入れの行き届いた大きく綺麗な家だった。

自分が日本語教師にでもなってここに住みたいと思えるほど良い環境だった。

移民社会と植民地と話は同じではないだろうが、台湾や韓国などの旧日本植民地でも教育に重きを置いた日本人の姿を頭に浮かべていた。
メキシコの日系の方々が地元社会に大きく貢献している事実を見ることが出来た事は、一人の日本人として少し誇らしい気持ちになった。
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