

「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑧~タパチュラ・メキシコ~
二度目のアカコヤグアへの旅を終え、見るべきものは見たような気になっていた。 あとはタパチュラにあるいくつかの日系人ゆかりの場所を見学すれば、自分なりの「メキシコの日系移民の足跡」をたどる旅も終わりだと思っていた。 毎日行われる「タパチュラ日系文化クラブ」の何かしらのコースに...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑦~アカコヤグア・メキシコ~
どうしても見ておかなくてはならない気がした「Rancho Tajuko(タフコ農場)」はアカコヤグアの村から少し離れたところにあった。 先日、浜田さんに連れてきてもらったアカコヤグアなのだが、どうしてもその農場が見たくなり今度は一人で尋ねる事にしたのだ。 「Rancho...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑥~タパチュラ・メキシコ~
アカコヤグアから帰り、再びタパチュラ日系文化クラブの日本語のコースに参加した。 普段ボケーっと過ごしている自分からした大忙しの一日である。 生徒は小児科医のドクトル・ペレスさんと言った。 日本語を始めて一年だそうで、その日本話を聞くと自己紹介は何とかクリアできると言ったレベ...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅⑤~アカコヤグア・メキシコ~
記念碑、墓地とアカコヤグアの村にある日系移民の足跡をたどった後、浜田さんは一軒の家を尋ねた。 アカコヤグアには「江戸村」と名付けられた日本・メキシコの文化交流の為に作られた文化会館があり、その管理者を尋ねると言うのだ。 江戸村の管理者、ヴェロニカさんは不在だったが家族の方が...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅④~アカコヤグア・メキシコ~
タパチュラからジャングルを突っ切るように通る一本道を浜田さんの運転する車は走っていく。 車の外は暑いが、車が走っていれば窓から入る風が心地よい。 およそ一時間ほど走ったアカコヤグアの村の手前あたりで浜田さんは急に車を止めた。...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅③~タパチュラ・メキシコ~
1897年榎本殖民団が上陸したプエルト・チアパスへ足を運んだ翌日、浜田さんの運営する「タパチュラ日系文化クラブ」へお邪魔する事になった。 日系二世の浜田さんが運営するクラブでは、日本語教室・合気道(剣術・護身術を含む)・禅・折り紙などのコースを開催している。13年前からクラ...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅②~タパチュラ・メキシコ~
タパチュラ到着初日に日系の方と会う事が出来た僕は、翌日「榎本殖民団」が到着したと言うプエルト・チアパスへ足を運ぶ事にした。 榎本殖民団とは、幕末から明治にかけて活躍した武士・政治家である榎本武揚の主導のもとで組織された移民グループである。...


「メキシコの日系移民の歴史の足跡」をたどる旅①~タパチュラ・メキシコ~
サン・クリストバル・デ・ラス・カサス、略してサンクリの街からグアテマラとの国境まで10数キロの場所にあるタパチュラと言う街にやって来た。 サンクリから出発するバスでグアテマラのどこかへ直行便で行くつもりだったのだが、タパチュラから車で一時間ほどの場所にあるアカコヤグアの村が...


左翼ゲリラ「サパティスタ」の村へ~オベンティック・メキシコ~
吹く風が冷たくなり遠くの空が暗くなるのを見ると、これから降り始めるであろう雨を思い少し憂鬱になる。 雨季のサン・クリストバル・デ・ラス・カサス。古い石畳の道は水はけが悪く、雨水が川のように流れる道をタクシーが水しぶきを高々と上げて走り抜ける。...


イグアナスープと亀の卵~フチタン・メキシコ~
ポチュトラからフチタンを経由して、サン・クリストバル・デ・ラスカサスと言うメキシコ南部チアパス州の街に来て一週間があっという間に過ぎてしまった。 古い街並みと穏やかな雰囲気が心地良い街だ。 ポチュトラで聞いたフチタンの町は好奇心をくすぐられる楽しい町だった。フチタンに向かう...